
「他者と共にある」という死生観 ― アリストテレスに学ぶ【かんおけin体験者の話 #3】
編集部がお手伝いしている体験型施設「かんおけin」では、本物の棺桶に30分入った体験者の方に、ご希望があれば色紙に「あなたにとって生きるとは?」を書き残していただいています。




SHIKISHI GALLERY
色紙ギャラリーを見る ›ありがたいことに、これまで60人以上の方に色紙を記入いただきました。こうして並べて眺めると、書かれた言葉にいくつかのグループが浮かび上がります。
本シリーズ「かんおけin体験者の話」では、このグループを一つずつ取り上げ、それぞれに響き合う思想家を一人紹介していきます。シリーズ第三弾は 「他者と共にある」 グループ。色紙には「仲間」「愛」「ふれ合う」「縁」が繰り返し登場します。本日は、このグループに響き合う思想家として、紀元前4世紀のアテネで人間関係を最も精密に分析した哲学者 アリストテレス と、彼が『ニコマコス倫理学』で展開した 「フィリア(友愛)」 を紹介します。
本記事で引用している色紙は、いずれもサイト掲載のご許可をいただいた方のものです。お気持ちが変わって取り下げをご希望の場合は、メールにてご連絡ください。
色紙に共通するトーン
「他者と共にある」グループの色紙には、はっきりした共通点があります。
まず 主語に「私」が入っていない。「生きる」とは何かという問いに、自分の動詞ではなく 関係の動詞 で答える。「ふれ合う」「結縁する」「愛し愛される」。一人称ではなく、関係の側からの応答です。
次に 方向が双方向。「愛し愛される」「感動すること(またはさせること)」と、与える側と受け取る側を両方並べて書く。一方通行の関係ではない、という構えが言葉のレベルで現れます。
そして 言語・国籍を越えて出てくる。日本語・英語・中華圏の色紙に共通してこのグループの言葉が現れます。「他者と共にある」は、文化の差を越えて掴まれる主題のようです。
気の合う仲間と楽しく過ごしていけたら Happy です
人とふれ合い感動すること(またはさせること)
生命是一場與很多人結緣的電影。
書かれた瞬間、棺桶を出たばかり。30分の暗闇のなかで一人になったあとに、書かれているのが「他者」だというのが、このグループの不思議なところです。
そしてこの三つの言葉は、2300年前のアテネで一人の哲学者が書き残した一節と、ほとんど重なります。
アリストテレス ― 王の家庭教師が遺した一行
紀元前4世紀のギリシャに、アリストテレス(紀元前384–322年)という哲学者がいました。
彼の生まれは恵まれていたと言えなくもありません。父はマケドニア王の侍医。少年期に父を亡くしてからは、17歳で当時のアテネ最高学府であるプラトンのアカデメイアに入り、20年そこに留まります。プラトンの死後、アカデメイアの後継者には選ばれなかった。家庭教師の仕事を求めてマケドニアに渡り、当時13歳だった王子の教育を任されます。この王子が、後にアレクサンドロス大王となる青年です。
アレクサンドロスが東征に出たあと、アリストテレスはアテネに戻り、自分の学園 リュケイオン を開きます。歩き回りながら講義したことから「逍遙学派(ペリパトス派)」と呼ばれた彼は、論理学・自然学・形而上学・倫理学・政治学・詩学・生物学までを体系化していきました。彼が残した著作は、その後 2000 年以上にわたり西洋の知の骨格をつくったと言われています。
しかし、彼が 倫理学の中核に置いたのは、論理でも形而上学でもありませんでした。それは 人と人との関係、つまり フィリア(philia、友愛) です。
『ニコマコス倫理学』第八巻と第九巻。全十巻のうち二巻丸ごと をフィリア論に充てています。書名の「ニコマコス」はアリストテレスの息子の名前。父から子に渡された倫理書のなかで、彼はこう書きました。
友なき人生は、いかなる他の善を持っていたとしても、誰一人選ぼうとしないだろう。
訳すれば、「友がいない人生は、ほかにどんな良いものを持っていたとしても、誰も望まないだろう」。人はひとりでは善く生きられない。これがアリストテレスの結論でした。
王の家庭教師として権力の中心を見、アカデメイアで20年を過ごし、自分の学園で多くの弟子に囲まれた男が、長い哲学の旅の末に書いた言葉です。だからこの一行は、軽くない。
フィリアの三層構造 ― 役立つ・楽しい・善
アリストテレスはフィリア(友愛)を、3 つの層に分けて分析しました。
第一に 役立つことに基づくフィリア。仕事の同僚、取引先、利害が一致する相手。互いが互いに利益をもたらす限りで成り立つ関係です。利害が変われば消える。
第二に 楽しさに基づくフィリア。一緒にいて楽しい相手、趣味の合う相手。気分が合っているうちは続くが、気分が変われば終わる。
そして第三に、最も完全なフィリアとして 「善に基づくフィリア」 をアリストテレスは挙げました。互いを「相手そのものとして」愛し、互いの善を願う関係。役に立つから・楽しいから愛するのではなく、相手という人がいるから愛する。これは時間がかからなければ育たず、稀にしか成り立たないが、最も持続する、と彼は書いています。
色紙の言葉にも、この三層構造はそのまま現れます。「気の合う仲間と楽しく」は楽しさのフィリアに近い。「人とふれ合い感動すること(またはさせること)」は、双方向に互いを動かす関係。つまり相手を「相手として」感じる、善のフィリアの輪郭をなぞっています。「愛し愛されるって」も同じです。
そして、もう一行。
生命是一場與很多人結緣的電影。自己是導演。每一刻都要活得精彩。
(生命とは、たくさんの人と縁を結ぶ一本の映画である。自分はその監督。一瞬一瞬を精一杯生きなければ。)
中華圏の色紙ですが、ここで使われている 「結縁」 という言葉は、仏教由来の関係論で、アリストテレスのフィリアと別ルートで成立した東洋の答えです。人がひとりでは生きられず、関係の網のなかでこそ生が立ち上がる。同じ洞察に、東西別々の道で辿り着いていることが分かります。
棺桶の中で起きていること
フィリアは、頭で理解するものではありません。アリストテレス自身が、アカデメイアでの20年、王宮での家庭教師、リュケイオンでの晩年を経て、人と人との間で身体で掴んだ実感を倫理学に削ったものです。
棺桶の30分も同じです。蓋が閉まり、視覚が遮られ、思考が減速していく。そのとき手元には誰もいません。それなのに、出てきた人が真っ先に書く言葉が「仲間」「愛」「ふれ合う」「縁」だというのは、どういうことでしょうか。
ひとりになって初めて、いま自分のまわりに誰がいるかが浮かび上がる。誰と会いたいか、誰に何を伝えていないか、誰の存在が自分の生を支えてきたか。他者の輪郭は、ひとりの30分のなかで、もっとも鮮明になります。
そこから出てきた方が、迷わず関係の動詞を選ぶ。「ふれ合う」「愛する」「結縁する」。2300年前のアテネでアリストテレスが書き残したものを、東京の棺桶のなかで30分かけて再発見している。
人類はずっとこれを繰り返してきたのだと思います。
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