生きるための死生学立ち止まって、よりよく生きる
2026.03.06death-studies

死の予行演習 ― プラトンとモンテーニュが辿り着いた、向き合い方【死について考えた思想家たち #1】

哲学とは、まさに死ぬことの練習である。 (プラトン『パイドン』64a 付近)

紀元前 4 世紀、古代ギリシャの哲学者 プラトン が著作の中に書き残した一行です。それから千八百年後、16 世紀フランスの モンテーニュ は『エセー』の一章のタイトルに、まったく同じ言葉を選びました。「哲学するとは死ぬことを学ぶことである」

二人の思想家が、千八百年の時を隔てて、同じ場所に辿り着いている。これは偶然ではなく、人類が死というテーマを真剣に考え続けたとき、ある決まった考え方の形に行き着くことの、ひとつの記録なのかもしれません。

本シリーズ 「死について考えた思想家たち」 では、過去の思想家たちが死とどう向き合ってきたかを、考え方ごとに一つずつ取り上げていきます。第一弾は 「死の予行演習」。プラトンとモンテーニュ、二人の哲学者が辿り着いた、最も古い死生観の一つを紹介します。

死を考えるという、古代からの伝統

死を考えるという営みは、哲学の最も古い主題の一つです。

古代ギリシャの哲学者たちは、人間の魂とは何か、よく生きるとはどういうことか、という問いと不可分の形で、死について考えてきました。プラトンの師ソクラテスは、若い弟子たちに哲学とは何かを問われたとき、「それは死ぬことの練習だ」と答えています。これは比喩でも詩的な表現でもなく、当時の哲学者が真剣に取り組んでいた 訓練の中身を直接指し示した言葉 でした。

その伝統は、ローマ時代のストア派、中世修道院の メメント・モリ、ルネサンス期の懐疑論者モンテーニュ、近代のハイデガーやキルケゴールへと繰り返し受け継がれていきます。考え方の細部はそれぞれ違いますが、根底にある問いは共通しています。

死をどう扱うか、という問いと向き合わない哲学は、本物の哲学ではない。

これが、二千数百年にわたって繰り返されてきた西洋思想の一つの基調でした。本記事で扱うプラトンとモンテーニュは、この長い伝統の 始まり再発見 に位置する二人です。

プラトン ― 師の死刑判決の前で書かれた一行

最初に紹介するのは、古代ギリシャの哲学者 プラトン(紀元前 427 年〜紀元前 347 年)です。

プラトンの人生には、決定的な出来事がありました。師である ソクラテスが死刑判決を受け、毒杯を飲んで死んだ ことです。プラトンはこの最期の場に弟子として立ち会いました。師は弟子たちに見守られながら、毒の効きを確かめるように足から順に身体の感覚を失っていき、静かに息を引き取りました。

その日のソクラテスは、不思議なほど穏やかだったと記録されています。動揺もなく、嘆きもなく、これまでずっと準備してきたことが、ついに来た、という顔をしていました。

プラトンはこの場面を、対話篇 『パイドン』 に書き残しました。その中で、ソクラテスは弟子たちにこう語ります。

哲学とは、まさに死ぬことの練習である。 (プラトン『パイドン』64a 付近)

プラトンの言う「練習」は、現代の私たちが想像するメンタルトレーニングとは少し違います。彼の哲学では、人間は 肉体(身体)魂(プシュケー) で構成されており、肉体は感覚や欲望に縛られた不純な部分、魂は純粋な思考の場所だとされています。哲学者は普段から、肉体の感覚から距離を取って、魂だけで世界を捉える訓練をしている。それはちょうど、死後に肉体を離れた魂の状態と同じことだ。だから本物の哲学者にとって、死は突然の災難ではなく、ずっと練習してきたことの本番 にあたる。

この一行は、観念的な哲学命題ではなく、目の前で死につつあった人間が遺した一行 として読むべきものです。形而上学的な体系の一部として書かれてはいますが、生きた人間の最期の姿に裏打ちされている、という点でその後の思想史に大きな影響を残しました。

モンテーニュ ― 千八百年後、同じ場所に辿り着いた男

時を一気に飛ばします。16 世紀フランス。ミシェル・ド・モンテーニュ(1533 年〜1592 年)という、ボルドー近郊の貴族で文人だった人物がいます。

モンテーニュには、人生の前半でいくつか死を強く意識する出来事が重なりました。親しい友人 ラ・ボエシ の若くしての病死。自身の落馬事故で、一度は意識を失った臨死体験。父の死。これらが続いた時期、モンテーニュは死を考えることに半ば取り憑かれていました。

その思索を書き残したのが、有名な 『エセー(随想録)』 です。第 1 巻第 20 章のタイトルが、こうなっています。

哲学するとは死ぬことを学ぶことである (モンテーニュ『エセー』第 1 巻第 20 章)

これは、千八百年前のプラトン『パイドン』からの引用そのものです。モンテーニュは古典古代の著作家を膨大に読み込んでおり、自分の思索の到達点として、プラトンと同じ場所を選んだのです。

ただしモンテーニュは、プラトンの形而上学的な「魂の訓練」をそのまま引き継いだわけではありませんでした。彼はそれを、ずっと身体的・実用的な方向に展開しました。

死から不慣れであることをわれわれから取り去ろう。それと馴れ親しもう。それを慣らそう。何ものについても、それほどしばしば思いをめぐらさないようにしよう。 (モンテーニュ『エセー』第 1 巻第 20 章)

死を遠ざけるのではなく、少しずつ近づいて、慣れる。プラトンが「魂の訓練」として概念化したものを、モンテーニュは「日々の習慣」に翻訳したのです。プラトンが哲学者の特殊な営みとして語ったことを、モンテーニュは 誰にでもできる日常の作法 にまで降ろしました。

二人が辿り着いた場所は、千八百年の時を隔てて、ほとんど同じでした。それは偶然ではなく、人間が死というテーマを真剣に考え続けると、たどり着く場所がそう多くはないということを示しています。

「予行演習」とはどういうことか

では、二人が言った「練習」「慣れる」とは、具体的に何をすることなのでしょうか。

二人の記述からは、おおむね次のような営みが読み取れます。

死を「いつか必ず来るもの」として、避けずに意識すること。死について考える時間を、日常の中に少しだけ持つこと。想像の中で、自分の死を何度もシミュレートすること。大切な人の死を悼んだとき、その悲しみをすぐに通り過ぎず、しばらくその場に座ること。

この営みには、二つの特徴があります。

ひとつは、慣れることは、麻痺することではない ということ。プラトンもモンテーニュも、訓練によって死の恐怖が完全に消えるとは書いていません。むしろ、感じる力を保ったまま、その感情に押しつぶされない状態を目指しています。

もうひとつは、彼らが見つけた最もシンプルな方法が 避けない だったということ。プラトンも、モンテーニュも、死を遠ざけることで安心しようとはしませんでした。むしろ近づいて、長い時間をかけて見つめ続けた。その先にだけ、不思議な落ち着きがあったのです。

この考え方は、後の時代に 「メメント・モリ」(死を忘れるな)という形で繰り返し語られていきます。ただし「メメント・モリ」が「忘れるな」という命令の言葉なのに対し、「予行演習」は「練習しよう」という持続的な訓練を指している点に、わずかな違いがあります。

なぜ千八百年を超えて、同じ場所に辿り着いたのか

最後に、本記事の出発点に戻ります。なぜ古代ギリシャのプラトンと、16 世紀フランスのモンテーニュが、千八百年の時を超えて、同じ言葉に辿り着いたのか。

理由はシンプルです。人間が死というテーマと向き合おうとしたとき、選べる選択肢がそれほど多くないからです。

死を遠ざけ、考えないことにする。これが多くの人がとる態度です。けれど考えないことにしただけでは、何かのきっかけで死がふと現れたときに、強く揺さぶられてしまう。

死を信仰の中で受け止める。これも有力な選択肢で、人類の大部分はこの方法を選んできました。けれど信仰を持たない人や、信仰だけでは納得しきれない人にとっては、別の道が必要になります。

死を「練習」する。考えることそのものを、繰り返すことで日常に組み込んでいく。プラトンとモンテーニュが選んだのはこの第三の道でした。それは、信仰なしに、考えることだけで死と付き合う 道です。

哲学が宗教ではなく哲学であり続けるためには、この第三の道が必要だった。だからこそ、千八百年を隔てた二人の思想家が、同じ場所に辿り着いた。それは偶然ではなく、思考の必然 だったのかもしれません。

人類はずっと、この営みを繰り返してきました。本シリーズでは、別の思想家が選んだまた別の道を、これから一つずつ取り上げていきます。

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